走る神 ウルトラマラソンランナー、イアニス・クーロスの強さの秘訣

はじめに

イアニス・クーロス(Yiannis Kouros)は、1980年代から2000年代にかけて、半日(12時間)から6日間の時間走や同程度の時間を要するウルトラマラソンで無類の強さを誇ったランナーです。

イアニス・クーロスは数多くの世界記録を打ち立てました。
代表的な記録は下記のとおりです。
24時間走:303.506km
48時間走:473.495km
6日間走:1036.800km
1000km:5日16時間17分
1000マイル:10日10時間36分36秒
スパルタスロン(246km):20時間25分
※多くの記録は現在でもIAU(International Association of Ultrarunners)公認世界記録

ウルトラマラソンのメジャー種目の一つである100km(約6時間)の場合、有酸素フィットネスの優劣によってパフォーマンスの大部分が決まりますが、1日から数日程度を要する場合、パフォーマンスの限定要因はより複雑となります。

今回はイアニス・クーロス選手に関する文献を中心に、1日から数日を要するウルトラマラソンで優れたパフォーマンスを発揮するために必要な能力を考察します。

優れた有酸素フィットネス

1989年に発表された論文は、イアニス・クーロスの生理学プロフィールについて下記のとおり報告しています。
身長:171cm
体重:64kg
BMI:21.9
体脂肪率:8%
最大酸素摂取量(VO2max):62.5ml/kg/min(4.0L/min)
最大心拍数:180拍/分

また、彼のフルマラソンの最高記録は2時間24分01秒です。

これらを踏まえると、フルマラソンを2時間10分未満で走る一流マラソン選手には劣るものの、イアニス・クーロスは優れた有酸素フィットネスを有していたと言えます。
(フルマラソンの一流ランナーは、VO2maxが70ml/kg/minを超えている者が多い)

有酸素フィットネスは、ウルトラマラソンの世界では、「最大値」「上限値」「最大能力」と呼ばれます。
程度に個人差はありますが、距離(時間)が増えるにつれて運動強度が下がることは誰しも普遍のため、優れた有酸素フィットネスは、余裕度に繋がります。
また、ウルトラマラソンでは、糖質を節約する能力が重要ですが、運動中の糖質と脂質の酸化割合は、相対強度(%VO2max)の影響を受けます。
したがって、有酸素フィットネスに優れるランナーは、絶対的同一強度(速度)で走った際の相対強度が低くなるため、エネルギー代謝の観点からみても大きなメリットがあります。

VO2maxはたとえ呼気ガスで計測しても、機器によって測定値が大幅に異なる場合があり、異なる測定機器で計測された数値や異なる文献の数値を直接比較することには注意を要します。
それを踏まえた上でも、イアニス・クーロスのVO2max(62.5ml/kg/min)は、フルマラソンの記録(2時間24分01秒) を考慮すると、やや低い印象です。
フルマラソンのタイムが同じ場合、VO2maxが低いランナーは、ランニングエコノミーに優れることがほとんどです。
そしてランニングエコノミーは、ランニング中のエネルギー消費量にも密接に関係します。
イアニス・クーロスのランニングエコノミーを正確に報告したデータはみたことがありませんが、マラソンの記録とVO2maxの数値を踏まえると、ランニングエコノミーに優れるタイプだった可能性があります。

胃腸の強さ・消化吸収能力

1985年に開催されたシドニー~メルボルン960kmのエネルギー出納を捉えた論文は、彼の類まれな胃腸の強さを明らかにしています。
なお、同レースにおいて、イアニス・クーロスは、2位の選手に1日(24時間)以上の差をつけ、5日5時間7分のタイムで優勝しています。
また、1日目には270km、2日目終了時点には463kmの距離を走破しており、24時間走、48時間走だったとしても、ワールドクラスの凄まじいパフォーマンスを発揮しました。

レース中の毎日の走行距離、エネルギー消費量・摂取量(推定)、三大栄養素の摂取量、水分摂取量は下記のとおりです。

距離 エネルギー

消費量

エネルギー

摂取量

糖質摂取量 脂質摂取量 タンパク質

摂取量

水分摂取量
(日) (km) (kcal) (kcal) (kcal) (kcal) (kcal) (L)
1 270 15367 13770 13502 180 88 22.0
2 193 10741 8600 7923 477 200 19.2
3 152 8919 12700 12297 243 160 22.7
4 165 9780 7800 7032 504 264 14.3
5 135 7736 12500 12058 270 172 18.3
5h 45 2536 550 550 3.2
960 55079 55970 53362 1674 734 99.7

1日当たりの走行距離が多いため、推定された消費エネルギーも莫大となっていますが、それを補う大量のエネルギーを摂取していることがわかります。
そして、このエネルギー摂取量はほとんど糖質で賄っていました。

近年の研究でも、24時間走のパフォーマンスに優れる者ほどレース中に糖質・エネルギーを多く摂取していることが示されています。
運動強度が高くなればなるほど、単位時間当たりに必要なエネルギーは増える上、より多くのエネルギーを糖質から産み出そうとします。
しかし、多くのウルトラマラソンランナーは、エネルギー消費量に見合うだけのエネルギーを摂取できません。
この原因は、レース中に起こる胃腸症状に加え栄養補給戦略に関する知識の欠如などが挙げられますが、イアニス・クーロスがウルトラマラソンで高いパフォーマンスを発揮できた理由として、莫大なエネルギーを摂っても走行できる胃腸の強さが挙げられます。
なお、シドニー~メルボルンレース中に彼が摂取した飲食物はクナーファ(小麦粉で作られた菓子)・メロマカロナ(穀粉などで作られた菓子)などのギリシャ菓子、チョコレート、ドライフルーツ、ナッツ、少量のフルーツ(梨・メロン・スイカ・ブドウ・リンゴ・バナナ・プラム、パイナップル・デーツ、レーズンなど)、蜂蜜やジャムを染みこました小さなビスケットなどでした。

睡眠抵抗能力

丸一日以上の運動時間を要するウルトラマラソンでは、睡眠に抗う能力もパフォーマンスに関係します。
実際、36時間以上かかるウルトラマラソンでは、レース中の睡眠時間と完走時間との間に有意な正の相関関係が認められており、レース中の睡眠時間が短い者ほど、パフォーマンスに優れる傾向があります。

イアニス・クーロスは、レース中に睡眠をほとんどとらずに複数日にわたって走り続けられる才能を有していました。
例えば、5日以上にわたったシドニー~メルボルンレース中では、2日目終了時点までは一切の睡眠をとらなかった上、その後も20分から120分の短時間睡眠を数回とったのみであり、全てを足しても4時間40分のみでした(睡眠以外の休憩時間は合計9時間40分)。
また、6日間走で世界記録を更新した際、レース時間144時間のうち、トラックを離れたのはわずか4時間のみでした。
24時間走であれば、多くのエリートランナーはレース中に1度も寝ずに走る場合がほとんどですが、数日にわたり、睡魔に打ち勝てる能力は、イアニス・クーロスの優れたパフォーマンスの秘訣の一つと言えます。

まとめ

今回は「走る神」イアニス・クーロスの強さの秘訣を1) 有酸素フィットネス、2) 胃腸の強さ、3) 睡眠抵抗能力の観点から解説しました。
イアニス・クーロスが産み出した記録の数々は、フルマラソンの記録が2時間20分未満の高速ランナーが多く参戦している今日のウルトラマラソン界においても、間違いなくワールドクラスのものです。
そして彼の凄さは、身体負荷が非常に高いウルトラマラソン競技において、数十年にわたりトップパフォーマンスを発揮し続けたことにもあります。
なお、イアニス・クーロスの強さは今回紹介した以外の要因、例えばペース配分能力、普段のトレーニング(ランニングトレーニングはもちろんのこと、筋力トレーニングにも取り組んでいた)も関係しています。

出典

Noakes T. D. (2002). Lore of Running. 4th edition. Human Kinetics. pp. 467-469.
Rontoyannis, G. P., Skoulis, T., & Pavlou, K. N. (1989). Energy balance in ultramarathon running. The American journal of clinical nutrition, 49(5 Suppl), 976–979. https://doi.org/10.1093/ajcn/49.5.976
Martin, T., Arnal, P. J., Hoffman, M. D., & Millet, G. Y. (2018). Sleep habits and strategies of ultramarathon runners. PloS one, 13(5), e0194705. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0194705
Lavoué, C., Siracusa, J., Chalchat, É., Bourrilhon, C., & Charlot, K. (2020). Analysis of food and fluid intake in elite ultra-endurance runners during a 24-h world championship. Journal of the International Society of Sports Nutrition, 17(1), 36. https://doi.org/10.1186/s12970-020-00364-7